CLOSE TO THE STRAIGHT EDGE

formally known?? as ANGLER ON THE HILL

20230130-0205

1か月分、一気に書こう。いい加減のんびりもしてられなくなってきたので。

0130

昨晩はデイジーも聴かず息子と同じタイミングで寝たので5時起き、諸々やって息子を送り出す。息子が昨晩風呂洗い、布団敷きやってくれて心配もしてくれた、本当にいい子だ。自分も出勤。腰は痛いまま、そりゃそうだ。満員電車は自分で踏ん張らなくていいのでむしろ助かる。最終日前日、最後のMTGでいつも通りやってから締めの言葉。その後のことはあまり覚えていないが片づけでもしていたのだろうか、帰りの井の頭の揺れは踏ん張らないといけなくて腰にキて辛かった。妻が戻るまで義母が来てくれて息子を見てくれていた、妻も帰っていて和やかなムード。

0131

最終日。今日は大きなリリースもないので10時に出社しようと思っていたが朝腰が完全に固まっていて、激痛でベッドから起き上がれず。ただ尿意も限界を迎えそうな中転げるように床に落ちてそこから立ち上がろうとするも全然立ち上がれず四つん這いのまま唸るだけ…何とか立ち上がってトイレに行っても蓋が開けられないなどの苦行。そんなこんなで開店には間に合わせるんで、と1時間ほど横になって腰が和らぐのを待って出社。昨日もそうだったが最終日にこれじゃ流石に笑われるというか笑ってくれると助かるという。今日はもうずっと片づけと引継ぎに終始、休憩時間に取り置いていた置き土産を引き取りに西武へ。休憩室と直属の部下宛てで別々に、メッセージも付けて。でその後も自分の後を継ぐWさんへの引継ぎを閉店まで。途中何人か挨拶に来てくれて、まぁ10年もいればそうなるよね、と。素直に嬉しく思う。自分が入社した時のフロアで一番最初に話しかけてくれ、年齢も近く、邦楽フロア時代に再度同じフロアでコロナ禍を過ごしたIさん、同じく邦楽フロア時代に配属されてきた若手のホープで最後の方は同じくらいヘヴィな現場を仕切るようになっていきつつ自分の退職を心から惜しんでくれたTMさんが来てくれたのは嬉しかった。後は最後の現場でバイヤーとしてもっともヘヴィな役割を任されながら上司である自分を支えてくれたKさんからプレゼントとメッセージアルバム的なもの(お決まりで自分にもあるんかなーあるんだろうなーとは思っていたがこれも素直に嬉しかった)もあり(他の方からも色々いただきました、ありがとう)、最後の片づけをしながら、入社の際の直属の上司だったSさんに挨拶もできた。そんな感じで最後までバタバタしながら、それもらしい、いいねぇ~なんてTTさん、10年溜めて捨てきれなかった書類を処分し、備品を返却し退館。邦楽時代にダブルヘッドとして、そして自分が事務方に移る際にそのまま邦楽を背負っていったMさん、あとは路線が同じなのでたまに一緒に電車で帰りながら他愛のない話をしていたTAさんと連れ立って店を後にした。感慨深くないと言えばうそになる、烏山で一人になり、バスがある時間に帰れるかなぁと思っていたものの結局そうもいかなくなって腰がツラいのに歩いて帰る。Kさんがまとめてくれたアルバムを見ながらトボトボと歩き、もうこの時間にこの道を歩くこともないのだろう、とか、色々な思いが押し寄せて少し涙を滲ませる瞬間もあった。好きなこと以外で仕事をすることを想像できず、それでもいつまでもフラフラもしていられない、両親やまだ交際相手であった妻を心配させ過ぎていると、就職したわけだが、楽しいことや他では体験できないようなことも多くワンダーであったが同時にどの場所にいても様々な苦しさがあり、常にギリギリの精神状態で来た。そんな中で結婚もした、子供も生まれた。間違いなく人生で最も濃密な時期だったろう。それも今日で終わり。明日からはそういった苦しみから解放され、同時に自分のささやかだがアイデンティティともいえる寄る辺も失うのだ。次の人生が、始まるのだ。

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今日から有給消化。新しい人生の始まり、暫定主夫で家事もバリバリやりつつ、これまでなかなか外出もままならなかったから美術館や買い物にもイッタロとと思っていたがギックリ腰で直前で文字通り腰を折られ、いや、折れてはいないのだけれど。とりあえず満足に動けないので家事も妻に任せちゃってる始末。とりあえず買って聴けていないCDをとにかく聴きまくる。

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昨日と同じ、だと思う…。記憶なし。

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以前にギックリ腰をやった時は病院には行かず何となく治るのを待ってたら治ったんだが、全然良くなる兆しが見えないので整形外科へ。予約をしていないので結構待たされた。診察、レントゲン、再診察、リハビリ、薬処方といった感じ、思えば整形外科っていつぶりだろうか、全然記憶にない。姿勢が悪いのは自覚しているし腰はもともと悪いのだけれど腰椎?がすり減っているので老いも重なっているということか。しばらくリハビリ、でも薬とリハビリと腰ベルトで人並弱くらいには動けるようになったので苦手でも病院はちゃんと行ったほうがいいと文字通り痛感。文字通りだらけ。節分なので帰って恵方巻ならぬキンパを作ろうと思っていたが時間もなくてやめる。形だけの豆まきをして、冷凍の海苔巻きを解凍して息子は上機嫌でどこかの方角、恵方?を向いてかぶり付いたまでは良かったのだがそこから突然テンションが落ち、急に食欲をなくし床に就く。そして、発熱。ちなみに息子のクラスはインフルエンザで今日から学級閉鎖。最新の注意を払い、学校を休ませることが多かったがそれでも感染してしまう、学校の体勢への不信感はずっとありそれがこういう形で結局逃れられないのか、と。ちなみに妻は今日コロナワクチンを売っているので明日自分が病院に連れていくことになるのかも。殺伐としている。

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妻が副反応ほぼないので息子を病院に連れていく。動けるので自分が連れて行ってもいいが流石に自転車を漕ぐのはまだキツい、バスに高熱でグッタリしている子を乗せていくのはどうなのだろうかということもあり。でもこれ交通機関を使わないと病院に行けない人ってどうすんのかね、シンプルに疑問だが。息子はインフル。かかってるじゃん、と。嘔吐を繰り返し、熱も40℃超えることもあり辛そうだ。無職になったらまずは大竹伸朗観に行くぞ!と思っていたが無理だった、無念。

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息子は熱下がった。