CLOSE TO THE STRAIGHT EDGE

formally known?? as ANGLER ON THE HILL

Emergency

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自分の聴きたいと思っていた音楽が見つかった時の感動ったらないですよね。彼らは僕にとってそういう音です。どういうことかというと、特に意識しているわけではないですけど例えば自分が音楽を聴くときに「こういう部分がいい」とか、「こういう感じオレ好きだよなぁ」とか、そういう風に要素で感じる部分がなんとなくあって、それらはあくまで要素であって名盤(この場合私的名盤)とはそれらとは全然関係ないレヴェルで存在することの方が多い、というのはわかっている。だけど自分の好きな要素ばかり集めた上での名盤が何故現れないのか、見つからないのか、こんなに色々な音楽が世界中にあるんだから幾らかあってもいいじゃないか、とも思うがなかなか。つまり音楽とはそういうものなのだ。だから面白いのだ、ということも考える。もし好きな要素ばかりが集まってそしてそれが好きな音楽たり得ればそれは奇跡なのだ、ということにしておく。だってもしそういう音が必要ならば自分でやればいいけどできていないでしょう。やろうと思ってできるもんではないのだ。つまり、PIT ER PATは奇跡なのです。好きな音要素が集まってもそれを音楽に昇華できなければ聴くに値しない、しかし、それがもしできたのならばそれは奇跡なのです。奇跡です。PIT ER PATは奇跡なのに何故話題にならないのか、それはオレにとっては奇跡だとしても他の人は、という問題と、そもそもPIT ER PATにぶつかるにはそれなりの探究心(あくまでそれなりでいいと思うが)が必要だからだ。だから逆に(この逆には使う場所があっているのかどうか微妙だ)もしもう一人別の自分が違う場所にいてもPIT ER PATにたどり着く、これは必然だ。そしてオレがオマエでオマエがオレになったとしたら二人とも必ずたどり着く。それはオレという人間にしか起こりえない(実際はオレだけということはまずない、つまりこれは誇張という奴である)、つまり必然の奇跡、あるいはオレという人間を媒介とするものに与えられた奇跡、これは神の啓示というものに近いか、それがPIT ER PAT。自分の文章の大仰さ加減に自分で興奮してつい奇跡を連呼してしまった、やりすぎた、やりすぎコージーもといやりすぎオレだ。しかし、PIT ER PATはオレだけのものであってはいけない。なぜならもうちょっと認知度が上がらないと来日しない気がするからだ。彼らには是非来日して欲しいんだ(いろいろ書いてみたがホントはこれが言いたいだけ)。