CLOSE TO THE STRAIGHT EDGE

formally known?? as ANGLER ON THE HILL

20230605-0611

1か月以上放置して4か月空いてしまいました。

0605

記憶、記録なし。

0606

7月のフェスに向け色々用意して行かないといけないのだが、今週末の美瑛でのイベントに合わせまずサンダル新調とアウトドア用品下見を兼ねて3人分の椅子を買いに一人旭川。秀岳荘は規模が小さい、ウェアやギアは所狭しと並んでいるが上級者向けという感じ。椅子はヘリノックスと持ち運び大変そうなリクライングのヤツとかしかなかった。買おうと思っていた色のChacoが見本品ラス1で自分のサイズのがあったので購入。ゼビオへ。どちらも旭川市内だがなかなかの距離、車なしで生活出来てる人なんているんでしょうか?息子が帰ってくる時間も考えてだが椅子も想定していたタイプのものがあり、時間ギリギリ購入できた。テントはちょっと選びにくい、ここじゃないかなーという感じ。

0607

昼コンビニに行った模様、チョコレートとナナチキを隣に入れられてややご立腹だった模様。家族が寝静まった後、翌日の息子遠足の弁当作り。キンピラごぼうと大学芋。3時頃までやっていた模様。

0608

3時間睡眠の6時起き、出来合いのナゲット、たこウィンナーに顔つけて、温野菜、おにぎりは海苔で恐竜をあしらう。キャラ弁とまでは行かないがなかなか見栄えのするものができたのではないか。寝不足の為か手元がおぼつかず昼に皿を割って落ち込む。2週間ぶりにルンバ起動。ジョインアライヴのタイムテーブルUP、恐竜レースと羊文学のかぶり。昼過ぎ気絶、すわ夕食の準備できんかと思いきやお弁当の残りがあって助かったらしい。

0609

体調崩していたっぽい。

0610

美瑛SSAWのイベント、SSAWピクニックへ。ある方面では有名な小さなレストランSSAWが、所縁である写真ギャラリー拓真館とその庭でマルシェとライヴイベントを開催するというので昼前から家族で車に乗って。

前日までの天気予報からライヴは雨天対応の拓真館内で、マルシェは庭で。結果としてとても天気が良くてライヴが内側になったのは少し残念ではあったが(館内はそれはそれとしてロケーションとしては面白く、雨天対策が万全なのであれば庭と館内、後は近隣の藍染の施設と連携してより大規模なフェス的なイベントも可能だし他にはない体験になるのではと勝手に妄想する)マルシェと館内のライヴを行ったり来たりするのはイベントを通して楽しむのであればメリハリが効いていいかもとも。買ったばかりの椅子を並べて景色を堪能しつつ。息子はライヴはあまり乗り気じゃなかったようだけれどハンモックやワークショップで存分に楽しめていた模様。ライヴは以下。
tonchi

児玉奈央

KOPY

OKI with REKPO,MANAW

それぞれのレポ始めるとまた終わらなくて止まるのでいつか気が向いたら追記するようにするかな、本当は書いた方がいいけど。どれも素晴らしかったが、特にKOPYを観れたのが良かった。だから何だって話だけれどtonchi以外は今年のFUJIROCKにそれぞれ出演する、もしかしたらtonchiさんもこっそりサポートとか入ってんじゃないのとか思ったけどそれはなさそう。OKIさんのライヴ終盤に突然夕立がやってきて慌てて館の窓を閉めていた、屋内でも窓を開け放って解放感はあったのだ。そうして結局屋内にしといてよかったということだ。ライヴが終わると雨は直に止み、虹のかかる美瑛の空に見送られるように帰宅。

0611

妻東京出張、空港まで送り。そのまま息子とBESTOMへ。アパートがテレビの端子がどの部屋も1つしかなくBSは観れないかーと思っていたが分波器というものが存在するらしいので買ってみた。その他、昼ごはんにパンとか買ってひじり野公園に寄って食べる。遊具で楽しく遊びつつも息子の他人とのコミュニケーションの仕方に自分の期限が悪くなってしまい最悪の雰囲気で帰宅。分波器を取り付けつつ、その後も細かいことでチクチクと嫌なムードを続けてしまった。自分の期限が悪かったからか、息子が色々といつもよりもテキパキと物事を進めた結果寝る体勢になるのがいつもよりも30分ほど早くなった。きっかけが息子だとしてもその後の悪い雰囲気を拡張したのは自分だと反省、何か一日をいい雰囲気で終わらせたい気持ちなどありかねてから考えていたキトウシへの夜のドライヴへと誘う。蛙の鳴き声のけたたましい真っ暗な田圃道を飛ばし、目を光らせ前を横切るキツネを目撃しつつキトウシの入口近くに車を停めて夜空を見上げる。満天の星空に北の小さな町に移住しても意外と都会であまり実感できていなかった光景をやっとのことで体感できたことがとても嬉しく、寒くなって空気が澄むようになったらまた来ようと誓うのであった。