深く深く沈むようでいて微かな優しさが見えるか見えないかというような歌声、それは最近見たSMOGのようだと思ったり。それに極端に少ない音数、JAPANを聴いたことはないが、
NEW WAVE期にどういうことをしていたらこういう音楽をやることになるのか気になるところ。いや、気にならないところ。何故ならTSUに置いてある『錻力の太鼓』が
CCCDだから。もうないだろうと思っていたがこんなところでまたこの忌まわしき遺産が・・・と久し振りに音楽
コマーシャリズムに憎悪を抱いたのだった。ところで、
デレク・ベイリーの音楽を初めて聴いた時、これは自分にとっては流石にずっと聴いていられるものではないのかも、と思ったものだが、ここでのコラボレーションではそういうことを感じることもなく、なんとも不安定ながら落ち着くような不思議な感覚に襲われたのだけど。
デレク・ベイリーが聴く時の状況を選ぶのか、
デヴィッド・シルヴィアンとのコラボレーションのマジックなのか、それは僕が
デレク・ベイリーの音源をひとつも持っていないので定かではないが、今のところ後者なのではないかなと思っている。