レゲエでないのにダブであるということがあるようで、ダブはジャンルなのか手法なのか哲学なのかそれ以外なのか、うん、いまだによくわからんが、とにかく全てはムードで片付けるのが簡単だし語弊がないでしょう、とすると、マッシヴにはレゲエのムードがない。例えば
フィッシュマンズにレゲエのムードがないのと同様に。それが裏打ったりしてもロックしてても要はムードがなければ、というようなことで片付けたいことが多多ある。だから順番を間違えてはいけない、ムードがあってジャンルになって手法と哲学に枝分かれするという多少無理矢理な構造を考えるとそれが納得できるのである。ではマッシヴは何か、それは
ソウルミュージックであると思うのです。例えばホレス・アンディがヴォーカルをとっても
コクトー・ツインズのエリザベスがヴォーカルをとってもそこで僕が感じるのはソウルのムードという奴なのであって、ダブという言葉あるいはジャンル、手法、哲学そしてあるいはムードがマッシヴのソウルのムードにおいてどういう機能を果たしているか、そこに興味がある。といってもマッシヴにはまったあの圧倒的な音圧のライヴではソウルのムードなんて
微塵も感じなかったし、ああ、これは圧倒的な音圧というジャンルがあればそれだななんてどうしてもジャンルに嵌めたいのかそれが楽なのだからといえばそれまでだがそう思ったもんで、それはやっぱりただただダブだったのだけど、CDで聴くとソウルのムードなんですよねぇ。はい、意味不明、で片付けるオレの悪い癖。気になる人はとりあえず自分で聴いてみたら?