CLOSE TO THE STRAIGHT EDGE

formally known?? as ANGLER ON THE HILL

20230313-0319

ツイートの埋め込みも合わせてみようかな、読みにくかったりダルくなったらやめます。

0313

だそうです。これいつか表示できなくなったりするのかね?また朝から大豆を煮た、今回は水煮でそのまま食べるというより料理に使う用。昨日から風邪気味、だそうです。というかまた書き写すならいらんか…。ちょっと様子見て必要だったらまた使うか。

CDが届いていたらしいです。

0314

リハビリと珈琲買いに。リハビリは病院まで行ったが色々あってやらずに出た。まぁ自分がいけないこともあるのだけれど、些細なことがきっかけでもういいや、となってしまった。まぁいつまでやるんかなコレ、という気持ちと、もう通えて後数回なら今やめても変わらんかなという気持ちと、後はナメんなよというまぁこれは自分の勝手なアレですけど。で手ぶらで帰るのもイヤなんで珈琲屋には寒いけど頑張って行きました。頑張ってという距離ではないね。後一回くらい来れればいいなと思います。

0315

記憶なし、これといって記録なし

何でかは覚えてません。

0316

念願の恐竜博2023へ。今回は毒展の教訓もあり開始初週。会期は6月までと長いのだが如何せん引越してしまうのと、このコロナが落ち着いた(ように見える、実際はわからんが…)状態で突入した春休みはなかなか壮絶な混雑が見えるので。結果やはり当然ガラガラなんてことはなくタイミングとしてもちょうどよかったと言える。内容もかなり気合が入っており、かつての恐竜少年だった40おじさんも興奮できた。グッズもしばらく科博来れないだろうということもあり散財する気満々で臨んで大満足、毎回食いついて諦めさせていた化石のガチャガチャもやらせてあげた。天気も良く、上野公園もそこそこの人出、桜は咲き始めといったところか、これも満開近くなった頃の状況を予想すればこれで十分でしょう。大道芸を見て喜ぶ息子、前回上手くいかなかったドイツ人と思しき二人組にモジモジしながら挨拶したり。昼食は文化会館がお休みだったのでコンビニで買って公園で食べる。人出がそこまででなくても昼食にはいつも困っているな、アメ横の方に行くには疲れている、息子も自分もそのくらいの体力はないとな。そんなこんなで満足して帰宅。

0317

記憶なし記録なし

0318

息子の散髪した、との記録

0319

記憶なし記録なし

20230306ー0312

6月になってしまった。手を付けかけては閉じを繰り返して結局3か月空いてしまっているので本当に覚えていないことばかりになってしまいそう。ただ、主夫になり、あっちへ行ったりこっちへ行ったりをできるようになったことで、より記録することの大切さをより実感すること、日に日に増すばかり。ということで寧ろ頑張ることが減った(まぁ頑張ることを減らすこと、それは本当に必要なことだったのではあるけれど)のだけれどこればっかりは別のフェーズで頑張る必要があるのだと。頑張ります。より、記憶なし記録なしばかりになるとは思うけれど今後のそれを減らす為に。

0306

記憶なし、記録なし。

0307

記憶なし。ツイッターによるとリハビリに行き夜はオムライスを作った模様。もしかすると妻は外出していたのかもしれない。

0308

記憶なし、記録なし。

0309

コロナになって以降初めてなので2年ぶりとかになるのか、息子と二人実家へ。あれこれ話をして、息子と二人散歩に出る。落合南公園がリニューアルされていて驚いた。自分が遊んでいた頃にセンセーショナルなリニューアルがあり、その際に出来たターザンロープもより現代的にされていた。かつての公園の面影と、ありがちなプレイパーク然とした姿が交錯し複雑な気持ちになるが決して否定的な気持ちでないのは不思議だ。もちろん肯定するわけではないが、臆病で運動神経のない息子がそのターザンロープを気に入っている様子を見て、そうか東京を離れるけれど両親が健在であれば実家は相変わらずここであってしかも年に1~2回はここを訪れるのであれば息子にとってのこの公園のこの姿と自分が遊びつくしたこの公園のかつての姿を毎回二重に現出させることになるのだ。否定でも肯定でもない、悪くないとかそういう感慨でもない。商店街を抜け、4丁目の団地の通りを縫って豊ヶ丘への橋を渡り児童館、図書館へ。息子が図書館へ行きたがったのだがそういえば木曜は休館だった。ここ十年くらいの団地活性化の中心になっているらしい八角堂、さっき通った商店街のコワークスペースのようなもの(後で母から知らされるが東京人に掲載されていた、妻の大学の後輩?がやっている)も、ケンちゃんが訪れる珈琲屋さんもそうだが、こういうニュータウンイノベーションは自分がいたころにあれば、と思う一方で自分が離れたからこそ発生したものでもあるのではないかとも思う。自分は40歳なので。そこで暮らし続ける人を除けば、遅くても30前後でニュータウンを離れた。ニュータウンネイティヴが巣立ち切った後にようやくイノベーションが始められるということなんじゃないか。古民家や地方創生よりも器としてはやりやすいだろうし。シャッター商店街という言葉が定着し切ったその先、というものがようやく始まっている感覚を得る。だから自分は30年暮らしたニュータウンを離れ、世田谷で10年暮らしてその地方創生の最たるモノであろう場所へ移住するわけだが、散歩してみて、これほど子育てに最適で文化的な発信にもちょうどいい場所はないのではないかな、と実感した。ニュータウンフェスとかも本当にそうでしょ、自分が学生の頃にあってくれればと思うけどまぁでもそれはないかな、と思うのはつまりそういうことでしょう。豊ヶ丘南公園では天才てれびくんの撮影をやっていたがテレビの撮影をこの辺でするのは今に始まったことではないですが(青龍伝説のロケをこの辺りで見たことがある)。そんなこんなでいつもよりもしっかりと運動し散歩した息子、ハーゲンダッツを一カップ食べた。夕方帰宅。いつもよりも名残惜しさが強い。見送る両親からも自分に向けてか孫に向けてか両方にかわからないが寂しさを感じた。まぁ全員が関東を出たことがないんだからそりゃそうかもしれない。

0310

玄米を炊いた。妻の体調と息子は単純に苦手で自分しか食べなくなってしまって炊かれる機会がなくなっていたが冷凍してカレーを食べる時、後は健康の為に朝食は玄米にという感じで。炊き立てが美味しくて玄米だけで1合分くらい食べてしまった。ほのぴが音大を卒業したとのこと、大学を出るアイドルは最近特に増えている気がするがほのぴのそれはより特別感がある。

0311

記憶なし、記録なし

0312

息子の保育園からの友人親子を誘って最後の祖師谷公園ピクニック。A君が急遽参加しなかなかアグレッシヴに楽しませてくれた。それ以外はまぁいつものようにのんびりしていたのだけれど寒くなってきたので先に一人かえってお風呂入れとくよと離脱した、のだが公園を出るタイミングで先ほどからサッカーの練習をしていた親子が見えはしていたのだがそれがまさかのKさん、高校サッカーの時代からあこがれていた選手。あまりにもテンパって、かつ舞い上がって声かけ、そして握手までしてもらった。子供とのプライベートな時間なのは間違いなかったので申し訳ないことをしたなという気持ちと、嬉しさでフワフワしながら帰った。まさかこんなところで出会えるとは、いい思い出ができた。

20230227-0305

0227

夕方、息子全身蕁麻疹。土曜日にコロナのワクチンを打ったが影響があるのかもしれない。妻は区の会議。

0228

午前中皮膚科、ワクチンの影響はもしかしたらあるかもしれないとのこと。大事ではなさそうなので一安心。天気がよいので午後は久々に息子と二人で行き先を決めず散歩、久々に釣鐘池にたどり着いた。カルガモカワセミテントウムシ、竹藪のザワめき。帰って息子は留守番させ、リハビリ。2月が終わる。

0301

久々にから揚げを揚げた、出来はもう一つ。

0302

記憶なし

0303

ウェイン・ショーターの訃報。車椅子でステージに立つ映像を最近見た気もする。年齢的にはまぁそういうことだが、ジャズ史を見てみればまた一つ巨星墜つという。個人的にもショーターには思い入れはある。ショーターといえば相棒のハービーもいまだ現役、長生きして欲しい。

0304

息子が最近よく遊んでる女の子を家に連れてくるとのこと、親はなんというか舞い上がって掃除をしたりする。1時間ほど遊んで外に行ったがなかなか面白い時間だった。

夜、家族が寝てしまって自分の時間、デジパックのスリム改造をしていたが左手の親指をカッターでざっくり行ってしまう。ショックを受けつつガッツリ止血したため痛みもそこまでなくドクドクだけしている、ただ傷はそこそこの深さかもしれないがあまり見たくはない病院へ行くべきか、多分行くほどではないという感じ、とりあえずテンションは下がりに下がって寝る。

0305

昨日遊びに来た女の子の家に今度は息子がお邪魔するという、連れてった妻もそのままお邪魔することになっているよう、自分は昨日浸しておいた大豆を煮ている。レシピよりも大分時間がかかっているのは古いからなのかどうなのか。とか何とか、少し固めだけど美味しくできたのではないかと。大豆が苦手な息子は食べようとしなかったが、甘いから食べてみろと試させたらパクパク食べ始めて面白かった。

20230220-0226

0220-21

記憶なし

0222

タモリ倶楽部終了の報、いよいよ自分が観る番組もなくなっていってテレビを見なくなるな、と思う。タモリ倶楽部が終わると民放はレギュラーで観るものがなくなる。

岡田徹の訃報、ライダースはここ最近数年でやっと聴き始めたくらい、やはり個人的にはya-to-iだ。ya-to-iは山本精一のユニットの中でもかなり好きな方で、オリジナルアルバムはもちろん、篠原ともえに提供された楽曲きっかけにインターネットとクレジットから音楽の世界がかなり広がったのだ。一時的なユニットでなかったセカンドからまたしばらく経ってはいるのだけれどもうそれがないのだなと思うとやはり悲しい。

0223

小豆を煮てお汁粉を作る、豆がなかなか柔らかくならない、炊き続けて酸欠になったのか少し朦朧とする。

義母来訪したが、珈琲飲むタイミングを逃したこともあり朦朧から徐々に頭痛に移行し数年に一度クラスの強烈な頭痛へ。早々に横になり、そのまま夕食も摂らず寝込む。

0224

朝まで寝続けて微かに残る頭痛。

昆虫食のニュース、スタンスややり方が本当に気に食わないがそもそも虫を食べるというのが無理、イナゴも無理、無印好きだけどコオロギせんべいみたいのを出しているのを見てそれは無理と数年前に思ったもんだし。エビみたいなモノというような表現もあるが自分の中では虫と甲殻類では明確に線引きがある

0225-26

記憶なし

 

20220213-0219

また止まってしまった。引っ越してから2週間ほど経ちそうです。

本当はそういう日々の機微というか詳細に記録していたいなと思っていたのだけれど、そして、もう覚えてないこともかなり多いけれど、それでも。

0213

De La SoulのTrugoyの訃報。悲しい。

0214

記憶なし

0215

会期の終わりが近づいていた毒展をそろそろ予約しなければ、と思ったが枠がすべて埋まっていた。他の何かで埋め合わせを考えたり、したがツイッターで見知らぬ人がアプリを入れれば別枠での入場が可能なことを教えてくれて何とか確保。化石ハンター展で次の展示を確認した時から行く気マンマンだった息子を悲しませずに済んだ。次の恐竜博は同じ轍は踏まないようにしなければ。

ハイスタのツネちゃんの突然の訃報。あまりにも、あまりにも突然でショックが大きい。

0216

息子と二人で上野、科博の毒展鑑賞。代理店がっつりなのか鷹の爪やYouTuber、BiSHなどなどコンテンツが物凄い。後は内容もとっつきやすいというか、結構若い女性客が多かった。ということで物凄い混雑に疲労困憊してしまった。常設の火山の展示に一瞬食いついたが植物の化石しかないのがわかり一気に醒める息子も面白かった。たっての希望でまた文化会館のカフェで昼食。天気がいまいちなので中で。このカフェもコンサートの幕間に使われるビュッフェ的な場所なのだと思うがカフェとしての利用がなかなか面白いと思う。

0217

前日の疲労を引きずってぐったりしていたようだ。

0218-19

記憶、なし

20230206ー0212

一気に、一気に…

0206

朝リハビリ、サクっと終わらせて帰る。雪国用のブーツ届き、イヨイヨ。昼、珈琲豆を買いにフラッと。セブンイレブンでサンドウィッチを買って帰って食べる。働いている時は毎日コンビニかスーパーでなにやら買って帰って貪っていたけれどそれも遠い昔のような、とても久しぶりに感じる。コンビニに入ってもどれもこれも食べたいと思えない感じもあって、まぁ当時もわかってはいたが自分なりのストレス解消だったんだ、と。ジャンクな食生活もどんどん遠離ってそれはそれでいいことなのだけれどこう剥がれていくもの、清濁というか、寂しさを一つ一つ実感する時期はまだしばらく抜けられないのかもしれない。今日はグラミーだったようだけれど、その結果一つ一つを眺めていてもそう。LIZZOはフジのヘッドライナーが発表されたばかりだけどフジねぇとか、サマラ・ジョイはWhirlwindだよなとか、日本人で誰彼がウィナーです、とか。小川慶太さんの扱いはやっぱりモヤモヤするけど。朝から鼻水が出続けて、夜ダルくなってきて、微熱あり。これは、キタのでは…。

0207

熱ジワジワと上がるもののそもそもギックリ腰の痛み止めが解熱もするのでそこまで上がらないという感じ、鼻水も止まらない。発熱外来を探し、整形外科と同じビルの内科がやっているのでそこにしようと思ったがPCRはやっていないのでまず抗原検査してコロナ陰性だったら再度連絡してみたいな要領を得ない感じに少しイライラする。残っていた抗原キットで陰性が出たので夕方診察。朦朧としながら待って検査、しっかりインフル陽性。妻も検査に行き発熱し出したようで入れ替わりで別の内科へ行きしっかり陽性。PCR?もやった?ようで鼻に綿棒を突っ込まれ過ぎて鼻血を垂らしながら帰ってきた。そんなわけで結局全滅、まぁそうなるんですよね。処方されたのはタミフルではなく粉を吸引するタイプ、こういうのがあんのね、少し楽しい、という感じで処方された分量をすべて一度に吸引して終了、後は治るのを待つという感じで解熱剤も腰痛のものをそのまま飲めばいいとのこと。息子は大分回復、おにぎりが食べたいというのでおにぎり握った。自分も熱と鼻水、首回りの筋肉痛があるが喉の痛みはないので食欲はしっかりある。慢性鼻炎だからインフルかからない、と勝手に解釈して40までインフル回避できていたがここへきてかかってしまった。言われているような辛さがよくわかっていない。寝ている時強烈な悪寒に襲われガタガタ震えながら寝る。体温を測ることもできず取り合えず寝続ける。

0208

朝は38.4℃、食欲はなくなりリンゴだけ食べるが異様な美味さ。熱は徐々に下がる。

0209

記憶なし、療養

0210

リハビリの予定だったがリスケ、ただ腰もインフルも大分よくなった。

毎週誰かが亡くなっているような気がするが、バカラックが亡くなったそうで94歳とのこと。人の死に優劣をつけるというわけではないのだがバカラックだとプレイヤーというわけでもないしご存命だったんですね…という不謹慎な感想を抱いてしまった。本当に優劣ではないんですが、例えば自分の中での位置づけとして本当に辛かった訃報は清志郎エンケンECD。闘病しながらそれでも演奏家、音楽家としての活動を続けていた人の死は辛く悲しい。最近だとマニュエル・ゲッチングやユキヒロさんも前述の3人ほどの思い入れはないがそう。トム・ヴァーレインはもともと浮世離れしていた、ただそれでも超寡作でも21世紀に録音作品を残しているし、一度だけその演奏を目撃したことがあったりで残念さや寂しさがあったりして。逆にとても好きだけれど悲しみをあまり感じなかったのはシド・バレットビーフハートとか。バカラックは人格ではなく楽曲にバカラックという格…というのだろうか、が宿ってしまい大きくポピュラー化してしまったので。それだけ偉大ではあるし自分も思い入れの強いバカラックナンバーはある。こういう人はなかなかいないんじゃないかな、日本人で思い浮かぶのは大野雄二とかでも現役でピアニストであるし…亡くなった人でいえばモリコーネとかマンシーニとかなんだろうか、と。とにもかくにもこう訃報が続くように感じるのは自分も死に近づいていることの証左であるよな。生まれる前も含め自分が生きている時代の人、触れてきた人が、夭折する人も、長生きと思われるような人も、皆死に始めたということだ。訃報に触れ思うのは死んだから引っ張り出して聴く方は下品だよなということ、でも知らなかった音楽を死んだことをきっかけに知り聴き始めることや聴かなくなっていたけれどまた聴き始めることは悪いことではないとも思うので「死んだときだけ聴きやがって」というような言説には乗るまいということ。だってじゃあもうすぐ死にそうな音楽家の音楽ばかり聴くようになるのも違うじゃない?まぁでもそれを否定するのも違うし、好きなように聴いたらいいか。

0211

在職中に届いた20枚くらいのCDをやっと一通り聴いたと思ったがまた13枚届いた

0212

今日もCDが届いた、4枚だけれど、昨日の分も合わせると、ね。ただほぼ家で家事しかしていないととにかくたくさん音楽を聴けるのがいい。結局本を読むようにはなってないしテレビも全然見ていないので。本は読みたいんだけど。

20230130-0205

1か月分、一気に書こう。いい加減のんびりもしてられなくなってきたので。

0130

昨晩はデイジーも聴かず息子と同じタイミングで寝たので5時起き、諸々やって息子を送り出す。息子が昨晩風呂洗い、布団敷きやってくれて心配もしてくれた、本当にいい子だ。自分も出勤。腰は痛いまま、そりゃそうだ。満員電車は自分で踏ん張らなくていいのでむしろ助かる。最終日前日、最後のMTGでいつも通りやってから締めの言葉。その後のことはあまり覚えていないが片づけでもしていたのだろうか、帰りの井の頭の揺れは踏ん張らないといけなくて腰にキて辛かった。妻が戻るまで義母が来てくれて息子を見てくれていた、妻も帰っていて和やかなムード。

0131

最終日。今日は大きなリリースもないので10時に出社しようと思っていたが朝腰が完全に固まっていて、激痛でベッドから起き上がれず。ただ尿意も限界を迎えそうな中転げるように床に落ちてそこから立ち上がろうとするも全然立ち上がれず四つん這いのまま唸るだけ…何とか立ち上がってトイレに行っても蓋が開けられないなどの苦行。そんなこんなで開店には間に合わせるんで、と1時間ほど横になって腰が和らぐのを待って出社。昨日もそうだったが最終日にこれじゃ流石に笑われるというか笑ってくれると助かるという。今日はもうずっと片づけと引継ぎに終始、休憩時間に取り置いていた置き土産を引き取りに西武へ。休憩室と直属の部下宛てで別々に、メッセージも付けて。でその後も自分の後を継ぐWさんへの引継ぎを閉店まで。途中何人か挨拶に来てくれて、まぁ10年もいればそうなるよね、と。素直に嬉しく思う。自分が入社した時のフロアで一番最初に話しかけてくれ、年齢も近く、邦楽フロア時代に再度同じフロアでコロナ禍を過ごしたIさん、同じく邦楽フロア時代に配属されてきた若手のホープで最後の方は同じくらいヘヴィな現場を仕切るようになっていきつつ自分の退職を心から惜しんでくれたTMさんが来てくれたのは嬉しかった。後は最後の現場でバイヤーとしてもっともヘヴィな役割を任されながら上司である自分を支えてくれたKさんからプレゼントとメッセージアルバム的なもの(お決まりで自分にもあるんかなーあるんだろうなーとは思っていたがこれも素直に嬉しかった)もあり(他の方からも色々いただきました、ありがとう)、最後の片づけをしながら、入社の際の直属の上司だったSさんに挨拶もできた。そんな感じで最後までバタバタしながら、それもらしい、いいねぇ~なんてTTさん、10年溜めて捨てきれなかった書類を処分し、備品を返却し退館。邦楽時代にダブルヘッドとして、そして自分が事務方に移る際にそのまま邦楽を背負っていったMさん、あとは路線が同じなのでたまに一緒に電車で帰りながら他愛のない話をしていたTAさんと連れ立って店を後にした。感慨深くないと言えばうそになる、烏山で一人になり、バスがある時間に帰れるかなぁと思っていたものの結局そうもいかなくなって腰がツラいのに歩いて帰る。Kさんがまとめてくれたアルバムを見ながらトボトボと歩き、もうこの時間にこの道を歩くこともないのだろう、とか、色々な思いが押し寄せて少し涙を滲ませる瞬間もあった。好きなこと以外で仕事をすることを想像できず、それでもいつまでもフラフラもしていられない、両親やまだ交際相手であった妻を心配させ過ぎていると、就職したわけだが、楽しいことや他では体験できないようなことも多くワンダーであったが同時にどの場所にいても様々な苦しさがあり、常にギリギリの精神状態で来た。そんな中で結婚もした、子供も生まれた。間違いなく人生で最も濃密な時期だったろう。それも今日で終わり。明日からはそういった苦しみから解放され、同時に自分のささやかだがアイデンティティともいえる寄る辺も失うのだ。次の人生が、始まるのだ。

0201

今日から有給消化。新しい人生の始まり、暫定主夫で家事もバリバリやりつつ、これまでなかなか外出もままならなかったから美術館や買い物にもイッタロとと思っていたがギックリ腰で直前で文字通り腰を折られ、いや、折れてはいないのだけれど。とりあえず満足に動けないので家事も妻に任せちゃってる始末。とりあえず買って聴けていないCDをとにかく聴きまくる。

0202

昨日と同じ、だと思う…。記憶なし。

0203

以前にギックリ腰をやった時は病院には行かず何となく治るのを待ってたら治ったんだが、全然良くなる兆しが見えないので整形外科へ。予約をしていないので結構待たされた。診察、レントゲン、再診察、リハビリ、薬処方といった感じ、思えば整形外科っていつぶりだろうか、全然記憶にない。姿勢が悪いのは自覚しているし腰はもともと悪いのだけれど腰椎?がすり減っているので老いも重なっているということか。しばらくリハビリ、でも薬とリハビリと腰ベルトで人並弱くらいには動けるようになったので苦手でも病院はちゃんと行ったほうがいいと文字通り痛感。文字通りだらけ。節分なので帰って恵方巻ならぬキンパを作ろうと思っていたが時間もなくてやめる。形だけの豆まきをして、冷凍の海苔巻きを解凍して息子は上機嫌でどこかの方角、恵方?を向いてかぶり付いたまでは良かったのだがそこから突然テンションが落ち、急に食欲をなくし床に就く。そして、発熱。ちなみに息子のクラスはインフルエンザで今日から学級閉鎖。最新の注意を払い、学校を休ませることが多かったがそれでも感染してしまう、学校の体勢への不信感はずっとありそれがこういう形で結局逃れられないのか、と。ちなみに妻は今日コロナワクチンを売っているので明日自分が病院に連れていくことになるのかも。殺伐としている。

0204

妻が副反応ほぼないので息子を病院に連れていく。動けるので自分が連れて行ってもいいが流石に自転車を漕ぐのはまだキツい、バスに高熱でグッタリしている子を乗せていくのはどうなのだろうかということもあり。でもこれ交通機関を使わないと病院に行けない人ってどうすんのかね、シンプルに疑問だが。息子はインフル。かかってるじゃん、と。嘔吐を繰り返し、熱も40℃超えることもあり辛そうだ。無職になったらまずは大竹伸朗観に行くぞ!と思っていたが無理だった、無念。

0205

息子は熱下がった。